恕のたより vol.27

学校長通信「恕のたより」-第27号- 学校長 高野 茂

理学療法学科1年生がランチョンセミナーで志を新たに

新入生は入学して約3ヶ月が経とうとしていますが、学校生活には慣れたでしょうか。理学療法学科1年生では、「夢を語ろう!! ~自分の将来像を描こう~」と題するランチョンセミナーがありました。理学療法士を目指そうと思った動機から、入学して実際の講義を受けて、その気持ちはどう変化したか、自分の適性はどうか、どんな理学療法士になりたいか、そのためには何が必要か・・・など昼食をはさみながら、和気藹々の雰囲気で進められ、学生たちは、「初志貫徹」の気持ちを強く持ってくれたと思います。

ランチョンセミナーの様子

 

理学療法学科3年の「臨床動作分析学」の授業について

学校の授業には色んな形式があります。授業者が一方的に学習内容を進めていく講義形式や学習者が自らの力で課題を見つけ解決していく課題解決形式など様々です。その一つにアクティブ・ラーニングがあり、最近、新聞などにもよく紹介されています。私流の理解でいえば、学生が自主的・能動的に学習に参加していく形式です。上に掲げた課題解決型や発見学習、班別学習、ディベートなどもひとつの方法です。
さて、今回取り上げた「臨床動作分析学」の授業は、まさしくアクティブラーニングの学習法といえると思います。患者様の動作の特徴などを専門的に分析し、原因の追求につなげる授業で、歩幅の計測や計測に工夫を加えて、グループごとに学習し分析していく方法です。学生諸君も積極的に、能動的に取り組めたのではないかと思います。
これからも学生諸君がわくわくするような授業を積極的に取り組まれることを期待しています。

臨床動作分析学の様子

恕のたより vol.26

学校長通信 「恕のたより」-第26号- 学校長 高野 茂

5月29日(月)朝から自治会の学生さんたちがグッドライフくまもと駅前の入り口に立って、朝の挨拶運動をはじめました


私はこれまで挨拶運動に携わってきた経験から挨拶は礼儀作法であり、当たり前のこととしてとらえてきました。しかし、セラピストや看護師を目指す皆さんにとっては、他にも色んな意味があることを作業療法学科長の有働先生に書いて頂きました。以下、玉稿(一部改)を紹介致します。

 

挨拶はなぜ必要なのだろうか。

なぜ子供の頃から大人になるまで挨拶は大切といわれるのだろうか?
挨拶とは、禅宗問答に由来し、「自分の心を開き、相手に近づいて、相手の心に迫る」ことである。心を開くことで「私はあなたの敵ではありません」というメッセージを相手に送っているのである。挨拶をされて気持ち良いのは、敵ではないと受けとめるからであり、逆に挨拶を相手が返さないと嫌な気分になるのは相手が自分に敵意を持っていると、こちらが受けとめるからである。心を開くことは、コミュニケーションの入口であり、対人援助職には特に必要なことである。また、この心を開く挨拶は、相手の存在を認めていることでもある。人にはいくつかの欲求があると言われているが、その中の一つに自尊・承認の欲求というのがある。人は、認められると喜びを感じる。
対人援助職で最も大切なのは、信頼関係の構築である。いくら知識・技術を兼ね備えていても対象者から信頼されなければ拒否され、援助は出来ない。この信頼関係の第一歩が挨拶である。しかし、ただ声に出して「おはようございます」「こんにちは」といえば良いものではない。対人援助技術でサラリーをいただく対人援助職には、挨拶も給与の中に含まれているのである。朝から元気良く笑顔で「おはようございます」との挨拶には、私は援助者として準備OKです。ご用件があればいつでも私に声を掛けてください。と宣言しているのである。したがって、目もあわせず、笑顔もなく、小さな声でおはようございますと言っても、それは挨拶にはなっていないことになる。当然仕事をする準備も出来ていないことになる。対象者は、正しい挨拶が出来る人を信頼することで、お互いの信頼関係が構築され、援助がスムーズに行われ、気持ちよく治療に専念できることとなる。また、職場の同僚やお客様に対しても同じような意味において挨拶が大切と言える。さらに、リスクマネジメントの観点からも挨拶が素晴らしいところには不審者が近寄り難いとも言われている。