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学校長通信「恕のたより」-第35号-

平成29年度卒業式が挙行されました。

- 学校長通信「恕のたより」 第35号 - 学校長 高野 茂

新年になってから、途絶えがちになっていました「恕のたより」をお届けします。今回は、私が、式辞で述べましたことを要約して紹介します。
昨今の新聞・テレビ等を見ていますと、人工知能と訳されるAIと言う言葉が頻繁に使われています。AIやロボティクスによって新しい付加価値が創造・開発され、革新的なビジネスやサービスが生み出され、私たちの生活様式が今後、一変するといわれています。また、AIによって将来的には日本の労働人口の約半分は代替可能になるともいわれています。このような「テクノロジー革命」ともいうべき事態を、幕末の西洋文明の流入と比較して、明治維新以来のイノベーションだと表現する人もいます。
この大きな時代変革の中で、私たちはどのように生きたらよいのでしょうか。
そのヒントが幕末明治の激動の時代を生き抜いた人たちの中に隠されていると思います。幕末の頃、西洋医学の導入などで医療界も大きな変革を遂げ、この熊本から多くの人材を輩出しました。近代医療の先駆者となった小国町出身の北里柴三郎をはじめ、北里と脚気論争を行ったことで有名な旧八代郡東陽村出身で日本衛生学の権威、東京帝国医科大学長を勤めた緒方正規(おがたまさのり)、西洋歯科医学の先駆者と言われる人吉出身の一井正典(いちのい まさつね)などが活躍しました。
この三角町からも濱田玄達という日本産婦人科の祖といわれた人物が出ています。彼は三角の里浦で生まれ、幼くして父を亡くし幼少期をこの波多村で過ごしました。やがて古城医学校に進み、現在の東京大学に進学、経済的に苦しみながらも蛍雪の功が実り、首席で卒業しました。その後ドイツに自費留学して帰国後、東京帝国医科大学長まで上りつめました。しかし、手術の際に目を痛め、視力の調節を欠き、学生を指導すべき教授としての良心が許さず大学を辞任しています。その後も日本産婦人科学会の会長を務めるなど会の発展に尽力し、我が国の産婦人科学のために偉大な足跡を残しました。
浜田玄達をはじめ北里たちに共通するのは、新しい西洋医学を取り入れ、研究に対する飽くなき探求心と真面目で真摯な姿勢であったと思います。
現在、「人生100年時代」と言う言葉がよく使われるようになりました。ある人はこの時代にはAIに代替されないようなスキルを付けることが必要として、五つの性格スキルを上げています。その中で尤も重要なスキルとして「真面目さ」をあげていました。その定義は「目標と規律を持ってねばり強くやり抜く資質」だと主張しています。

 これからの時代は、皆さん一人一人が新しい流れに即応しつつ、それぞれが掲げる目標にむかって真面目に、真摯な姿勢で取り組んでいくことが重要だと考えます。

もう一つ話しておきたいことがあります。それは、私が「校長室便り」の題にもしています他を尊重し「おもいやる」心、すなわち「恕」の心を持ち続けて欲しいと言うことです。「恕」という言葉は、孔子が弟子に一生守るべきことは何かを問われた時、「それ恕か、己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」と答えたことに由来し、他を思いやる心であります。この精神は古今東西、社会の土台である人間関係を維持していくうえで最も重要な道徳律といわれ、多くの先人たちが座右の銘にしてきました。
不確実性の高い社会状況の中で、厳しい環境に置かれた人への思いやりの心を忘れず、常に他との関わりのなかで、自分を見つめ、「恕」の心を大切にしていくことが、これからの社会を構築していく礎(いしずえ)だと確信しています。